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2007-09-02

奇想遺産 群馬音楽センター 日本 藤森照信(建築史家)

奇想遺産 群馬音楽センター 日本 藤森照信(建築史家)
朝日新聞20070826

所在地.群居県高崎市高松町
建築家:アントニン・レーモンド

 戦前、ブルーノ・タウトが来日して滞在したのは高
崎だった。高崎の実業家の井上房一郎(1898~1
993年)が面倒をみたからである。生前、井上さん
にうかがったところ、〝来日した頃のタウトのデザイ
ンは、時流に遅れていて興味はなかった。ル・コルビ
ュジェの方が面白かった。

 戦後、焼け跡の中で市民楽団としての群馬交響楽団
が発足し、音楽ホールを作る運動が盛り上がつた時、
運動の中心にいた井上が選んだ、時流に遅れていない
建築家とは誰だったのか。それが、来日して長いチェ
コ系アメリカ人建築家アントニン・レーモンド(18
88~1976年)だった。
 レーモンドが腕をふるつて61年、念願の音楽センタ
ーが完成する。あまりに大胆な構造と表現に人々は仰
天する。専門的には「折板構造」といい、鉄筋コンク
リートの薄い板を折ってつなぐことで、ちょうど折り
鶴のように薄くても丈夫な造形が可能となる。
 構造形式に加えて、コンクリートの構造体がむき出
しになっているのも珍しかった。戦後の前衛的建築を
象徴する〝打ち放しコンクリート″である。
 打ち放しコンクリートの折り鶴。
高崎市民は気付かなかつたと思うが、レーモンド
は、世界の建築界に向けてこれを作った。具体的には
ある一人に向けたと私はにらんでいる。戦前二人の 
間にはあれこれあったが、ル・コルビュジェよ、さあ
これでどうだ。 世界のル・コルビュジェと日本のレーモンドの間に
は、戦前から緊張の糸が張っていた。20世紀建築の構
造と造形の二つにかかわる糸である。
 まず、打ち放し。レーモンドが先行する。建築家と
してはフランスのオーギュスト・ペレに始まる打ち放
しを、レーモンドは、霊南坂の自邸(24年)で、ル・
コルビュジェのスイス学生会館(32年)より早く実現した。
 しかし造形では遅れ、ル・コルビュジェの実現しな
かった住宅案を自作に取り込み、抗議されたりしている。
 そんなことが戦前にあり、戦後は、ル・コルビュ
ジェが来日して打ち放しに石張りの国立西洋美術館
(59年)を建て、そしてその2年後に群馬音楽センタ
ーが姿を現す。ル・コルビュジェが一度も試みていな
い折板構造を駆使し、西洋美術館にはない純打ち放し
を表現してみせた。さあ、これでどうだ。
◎先鋭的なホールの造形
・コンクリートの造形が60年代を思わせる
センター内に併設されたレーモンドの業績をたどるギャラリーがある。

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