エビータとペロン 伊藤千尋 アルゼンティン・ブエノスアイレス朝日新聞20071124より
エビータとペロン 伊藤千尋 アルゼンティン・ブエノスアイレス朝日新聞20071124より
エビータは生きていたままの姿で眠っている。
1952年に亡くなった直後、全身に防腐処麿を施されたのだ。
エビータは既婚の男の愛人の子として生まれた。4人の兄姉とともに、
裁縫をする母の手一つで育てられ、「子どもの頃から世の中の不公平に怒り
を覚えた」という。逆境を跳ね返して女優になろうと15歳で家出し、巡業に
来た男性歌手に無理やり同行して首都に出て、ラジオドラマに出演した。
地震の被災者へのチャリティーショーでエビータは、軍の実力者だった
ペロン大佐の隣に座って話しかけ、彼の心を射止める。強引に彼の家に引っ越し、
彼の愛人を追い出して同居した。
46年に大統領になったペロンは最低賃金を定め有給休暇を制度化するなど
労働者のための政策を進めた。大統領夫人になったエビータは慈善事業の
先頭に立ち「貧者のマドンナ」と呼ばれた。独裁者ペロンの人気はエビータの
慈善事業のたまものだとも言われる。
「私たちは互いに求めていたから結婚した。なぜ求め合ったがというと
同じことを望んだからだ」と彼女は自伝で語った。同じこととは「貧しい人々
の解放」である。「彼は形で、私は影」とも述べている。
エビ-タを世界的に有名にしたのは、死後の78年に初演されたミュージカル
や96年にマドンナが主演した映画だ。マドンナは「私もキャリアを積もうと
17歳でニューヨークを目指した。エビータも私も、目標を達成するために
役立つ男と関係を持った」と語った、と彼女の伝記にある。
ペロンも恋多き男だった。エビータは2度目の妻だ。最初の妻は30歳で病死し、
28歳年下の女性と同居中にエビータが現れた。彼女の死後、ペロンは44歳年下
の女子中学生を見そめて同居する。クーデターで地位を追われると亡命先で
知り合った36歳年下の踊り子イサベルと3度目の結婚をした。
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