串あってこその蒲焼
広瀬です。
串あってこその蒲焼
串は、蒲焼を作る際になくてはならない道具で
ある。それだけでなく、蒲焼という名前がつけら
れたのも、串との出逢いがあってこそ。蒲焼の語
源に関して諸説ある中で、うなぎをぶつ切りにし、
串に刺した形が蒲の穂に似ているからという説は
有力だ。三田村鳶魚が提唱したこの説を、もう少
し詳しく説明しよう。
徳川家康が江戸に入府し、最初に手掛けたこと
が、都市を整備するための土木工事だった。江戸
城の前にも遠浅の海と広大な湿地帯が広がってお
り、まずはここを埋め立てた。その結果、現在の
皇居外苑、馬場先門周辺が沼となり、うなぎが棲
みつくようになった。さて、工事には大勢の人夫
が必要で、働く男たちの胃袋を満たすため、江戸
では外食産業が発展したのだが、沼のうなぎも早
速、目をつけられた。屋台には、うなぎをぶつ切
りにし、味噌をつけて焼いた「うなぎの味噌焼き」
が登場する。そう、これこそが蒲の穂からの連想
で、最初は蒲焼(がまやき)と呼ばれたうなぎ料
理なのである。時を経て、それはいつしか「かば
やき」と呼ばれるようになった次第。
江戸後期には、うなぎを開き骨をのぞいて焼き
上げるようになった。昧つけも、この頃普及し始
めた醤油や砂糖を使ったタレに変わり、今の蒲焼
とほぼ同じものが完成した。
種類
串を素材で分けると竹串、木串(檜の端材など)、
金串(主にステンレス)、プラ串(ポリスチレンな
ど)がある。形は丸串、半丸串、角串、平串、鉄
砲串(全体の形が火縄銃のようになっている)、松
葉串(松葉のように先が二つに割れている)など。
専門店で蒲焼に用いられるのは主に竹串。長さ
によりポッカ串、どんぶり串、五分長串と呼ばれ
るものを、うなぎの大きさに合わせて使い分ける。
刺し方もいろいろで、うなぎ屋のメニューにもあ
る筏(いかだ)は、一匹を切らずに長いまま串打
ちするやり方だ。
ちなみに、うなぎ職人の間では、温度差の少ない
所で育ち、均質性に優れた「水戸の竹」が一番とか。
串打ち3年
「串打ち3年、割き8年、焼きは一生」といわれ
るように、職人技がおいしい蒲焼を作る。焼いた
時に身が崩れないよう、身と身の間に刺すのがコ
ツなのだそう。慣れた職人は、いとも簡単にツイ
ツイと刺してゆく。けれども、最初はうなぎの身
に串を通すこと自体が困難だったという。
ふっくらと香ばしく焼けた蒲焼、うなぎに、そ
して職人に感謝しながらいただこう。
◎元禄年中(一六八八~一七〇三)
に上方で刊行された林鴻作『産毛』。この本の挿
絵に、うなぎを串に刺した蒲焼らしきもの、ま
た「うなぎさきうり」という看板が見られる。
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