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2006-06-19

日本は世界をどう取り込んできたのか

地球科学の世紀 102 WEDGE APRIL2006

自然・人文・社会科学を融合した新たなる知の体系構築に向けて

46億年前に誕生した地球は現在、エポック・メーキングな激変期を迎えており、
「新しいシステムの中での安定した人間圏とは何か」の考察が求められている。  
そのためには従来の自然科学、人文科学、社会科学を融合した新しい学問体系、
つまり「地球学」の構築こそ急がれるべきだろう。

新たなる知の体系構築のため、各分野において、人類が直面する問題とは
何なのかを改めて問い直し問題を設定し直すことが必要である。    

第2ステージを迎えたフォーラムΓ地球学の世紀」では、これらの問題を個別に
取り上げ、複数回にわたってさまざまな切り日から議論を深めていく。    I

地球というユニット・システム  人文学的接近②

地球がユニット・システムであるというのは、惑星物理学の観点からは
自明であろうが、人文学的にはそうではない。世界地図から人跡未踏の
白地図の部分が消え、全世界が交通・通信網で結ぱれ、地球の裏側の出来事が
瞬時に全世界に影響するほど関係が深まり、近代文明の負の結果としての
地球環境問題が共有されるようになる、いわゆる「グローバル化」の結果、
地球をユニットとみる人文学的な認識が広まつた。とはいっても、その体系化
は未完成である。
地球がユニットとみなされる前、人間は体系性をもった「世界」の全体像を
描いていた。ただ、その「世界」と「地球」とが一致していたわけではない。
日本は「世界」を内に取り込んできた歴史をもつ。日本が様々な「世界」を
取り込みながら、ついに「地球」を内に取り込むまでに至った過程を概観し
てみょう。

    国際日本文化研究センター教授川勝平太

Nasu 日本は世界をどう取り込んできたのか

古くから人間は、想像力を働かせ、自らの生活圏をはるかに超える高次元の
世界を体系的に描き、それを様々な形で残してきた。仏教における想像上の
霊山「須弥山」を中心とした世界の図や、仏・菩薩の集合した「畳陀羅」の
世界はその一例である。また、華厳経には、全体と部分の関係についで、
一塵の中に宇宙が宿るという思想がある。その比喩としてインドラ宮殿の
宝珠のように、一個の宝珠が無数の宝珠に映り、無数の宝珠が一個の宝珠に
映り、一つの中に一切が含まれ、一切が一つの中に包まれる様を「一即一切、
一切一即」といい、一の中に多があり、多の中に一があり、しかも、一は一、
多は多であるという重々無尽の全体観を描き出していた。
こうした全体観は、単に言葉・絵画・彫刻・建築物などに残されるばかりか、
都市景観としても残されている。ヨーロッパの教会を軸とした都市景観、
イスラム圏ではモスクを核とした都市景観は、それぞれの全体観の反映であろう。

また京都や鎌倉の景観が、ヨーロッパ圏やイスラム圏のそれと異なるのは、
日本人の世界観がそこに反映しているからである。

日本史に見る権力所在地ヘの凝縮

日本は地球の一部でしかないが、日本には「世界」を取り込んで全体性を
志向してきた歴史がある。日本は世界をどう取り込んできたのか、それを
知るヒントは、日本における権力(立法・行政・司法)の所在地の変遷に
見出されるように思われる。
日本は奈良↓平安↓鎌倉↓室町↓安土・桃山↓江戸と、権力の所在地を
変えてきた。その地名に「i時代」をつけると、日本史の時代区分になる。
時代の区分を権力の所在地名でしているのは、世界に例がなく、日本に
特有である。各時代の特徴が、権力所在地に凝縮されているので、そこを
見れば、時代の全体像が彷彿とするのである。
では、何が凝縮されているのか。
奈良・平安京都は、世界帝国であった唐の長安を模倣し、律令・条里制・
正史の編纂など、唐の大陸文明が取り込まれた場である。
鎌倉は、南宋(127ー1279年)一首都は臨安(長江の河日、現在の杭州)一の
文物を受容した場である。その代表は鎌倉五山である。五山は南宋に
起源をもち、文化的特徴としては禅・茶・庭である。
中国は「南船北馬」といわれる。北の黄河流域は「馬」を運搬手段とする
内陸文化、南の長江流域は「船」を運搬手段とする水郷文化を発達させた。
北の黄河文明の精華は京都に、南の長江文明の精華は鎌倉に入ったのである。

続く室町京都は、北と南の中国の文明の精華を融合する場となつた。
北の文明の精華が取り込まれていた平安京都の周縁に、南禅寺を筆頭とする
京都五山が設置され、天竜寺・金閣寺・銀閣寺など、禅・茶・庭を核とする
南の文化の精華が埋め込まれた。室町京都において南北の中国文明は
統合された。室町時代に、中国文明の精華はことごとく京都に入つたのである。

安土・桃山は、日本が中国文明から自立する過渡期の場となつた。
この過渡期に「南蛮」の文化も加味され、デウス(天主)の思想も
天守閣に取り込まれ、当時の日本の外部にあつた世界観はほぽ取り
込まれた。
外部から世界観が入つて来なくなれば、日本自体が「世界」になる。
江戸時代を特徴づける「鎖国」は、閉鎖空間であり、全体性を帯びた。
その代表的景観は江戸の城下町である。江戸に代表される城下町は、一国一城
の制度のもとで、全国各地に現出し、日本は260ほどの「国」からなる世界性
を帯びたのである。

興味深いことに、同時期のヨーロッパも、世界性をもつ「近代世界システム」
を形成した。「鎖国日本」と「近代世界システム」という二つの全体世界の
出会いが幕末である。「鎖国日本」は西洋人には「美の文明」と映り、
「近代世界システム」は日本人の前に「力の文明」と見えた。日本と西洋は
互いに相手の文明を摂取した。
日本は、江戸を東京と改め、東京に国力を結集し、西洋の「力の文明」の東京
ヘの取り込みを目指した。今日の東京には、欧米にあつて日本人が必要としたり
望んだものはフルセットで揃つている。それはあたかも、かっての京都に、中国
にあつて日本人が必要としたり欲したものがフルセットで取り込まれたのと同じ
である。中国(東洋)文明という全体性は京都に、西洋文明という全体性は東京に
取り込まれた。

日本において、東洋と西洋から全体性を取り込む時代は終わつた。残された
全体性は東洋と西洋とを合わせた「地球」しかない。

20世紀末の1999年に国会等移転審議会が、首都機能の移転を提言し、新首都の
筆頭候補地として那須をあげた。那須に首都が移れぱ、明治・大正・昭和・平成
の世は「東京時代」として一括されるだろう。

新首都の那須は、いかなる意味で地球の全体性を象徴することになるのであろうか。
那須には国家主権にかかわる防衛・安全保障・外交・通貨管理・司法が移り、
他の関係省庁は地域に委譲されるであろう。その地域単位について、経済力で
東京に匹敵し、かつ先進国なみというのが条件になる。それを勘案すると、その
最終予想図は、「森の洲(北海道・東北)」、「野の洲(関東)」、「山の洲(中部)」、
「海の洲(西日本)」の四洲になると見込まれる(図を参照)。

新首都候補地の那須の位置に注目してほしい。それは「森の洲」と「野の洲」の
境目にある。そのような地に古来、日本人は「鎮守の森」を守る社を建立して
きた。那須は「鎮守の森の都」と呼ぱれる位置にある。
日本列島は亜寒帯から亜熱帯までの豊かな生態系が広がり、地球生態系の
ミニチユアと見立てうる。「鎮守の森の都」の那須は、部分の中に全体を宿す
華厳の思想を体現し、「緑の地球」の象徴になると見込まれる。

小さい頃の父との会話をふと思い出しました。卵料
理を週に1回しか食ベられない人と、毎日食ベられる人
のどちらが幸せか? 当然毎日食べられる方が幸せだ
と私は思いましたが、父は「週に1回しか食ベることがで
きないと、頭でたくさんの卵料理を想像できる楽しさが
あるよね」と教えてくれました。
今の東京には世界中のあらゆるものが集まり、消費
されています。モノの充実こそが生活の豊かさであると
いう価値観で考えれぱ、東京は豊かな都市といえます。
しかし、毎日卵を食ベることができる生活が必ずしも幸
せではないように、たとえモノが充実していなくても、豊
かな都市は作れるのではないでしょうか。新しい首都
には、そのような発想の転換が求められていると思い
ます。
(事務局)

第102回フォーラム「地球学の世紀」出席者
(幹事を除きアイウエオ順、敬称略)

発表 川勝平太(国際日本文化研究センター教授・経済史)
幹事 松井孝典(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授・地球惑星物理学/複雑理工学)、
石井和紘(石井和紘建築研究所所長・建築家) 
メンバー 合原一幸(東京大学生産技術研究所教授・生命情報システム/複雑数理モデル)、
五百籏頭真(神戸大学大学院法学研究科教授・政治外交史)、
加藤秀樹(構想日本代表/慶應義塾大学総合政策学部教授・政策デザイン論)、
鬼頭宏(上智大学経済学部教授・歴史人日学/日本経済史)、
黒田玲子(東京大学大学院総合文化研究科教授・生物物理化学)、
近藤和彦(東京大学大学院人文社会系研究科教授・西洋史(イギリス史))、
斎藤成也(国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門教授・進化遺伝学)、
佐藤勝彦(東京大学大学院理学系研究科教授・宇宙物理学/宇宙論)、
住明正(東京大学気候システム研究センター教授・気候システム)、
高橋世織(文芸評論家・文学理論/映像文化論)
筒井清忠(帝京大学文学部教授・日本文化学/歴史社会学)
南淵明宏(大和成和病院心臓病センター長・心臓外科)

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