与那国国町は台湾との自由な往来で栄えていた
編集手帳 読売新聞20070827
長崎県・対馬の展望台からは、海峡を隔
てて5O㌔先の対岸にある韓国・釜山の街
並みが見える。江戸時代には、釜山の倭
舘に600人の対馬藩士らが常駐し、外交や通商の実務に
あたっていた。
その対馬が、日韓交流の島として再び脚光
を浴びている。7年前に釜山と定期航路で結ばれて以来
韓国からの観光客が飛躍的に増えた。進出著しい韓国資本
の動向が、島の今後の経済を大きく左右しそうだ。
「島と国際交流」をテーマにした日本島嶼学会が来月、台湾に近
い沖縄県等与那国で開催される。与那国町の町長や対馬市
の市長、北方領土問題の最前線に立つ北海道根室市の市長
らも出席し、研究者と共に地域活性化への道を探る。
与那国国町は、戦後の一時期まで台湾との自由な往来で栄えていたが
、やがて台湾との直接の交通が途絶え、過疎の島として廃れていった。
高い輸送コストによる物価高も島の経済を圧迫している。
町は2年前に、台湾を初めとする東アジアとの地域交流を進めながら国境の島守として生き
ることを誓う「自治・自立宣言」を採択した。台湾の姉妹
都市・花蓮市に設けた連絡事務所を拠点に、新たな物流ルート
の開設や観光客の誘致などをめざす。
日本の安全保障の上で重要な意味を持つ「国境の島」の様々な模索にも目を向けていきたい。
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