第83回 楽座会(平成18年8月23日)
第83回 楽座会(平成18年8月23日)
さる8月23日、第83回楽座会が銀座・松坂屋別館ライオンで開かれた。松浦幸作会長が大和証券の出身であることから証券・銀行・商社などのビジネスマン、そしてIT関連のベンチャー企業経営者など、「楽市楽座」の精神そのままに多種多様な人たちが集った。また、楽座会にはマスコミ関係者も多数参加することで知られる。
今回も楽座会恒例のレジュメが出席者に配布された。このレジュメは松浦会長が政財界に張り巡らせた人脈・情報源を駆使したもので、一般のマスコミからは知ることができない情報や独自のユニークな視点を提供している。
そのカバーする範囲は、レジュメをご覧いただければ明らかだが、国連分担金、ODA、公務員制度、地方自治体問題など多岐に渡っている。中でも今回、松浦会長が強調したのは、「日本人は歴史を学べ。とくに日中関係史、東アジア外交史を勉強すべき」ということであった。また、同会長は「日本人は古代史を知らな過ぎる。現代をより深く理解するためにもっと勉強した方が良い」ともいう。
実は、来年は26代「継体天皇」即位1500年である。同会長によれば、この継体天皇を日本人および皇室は重要視しなくてはならない、という。以下はこの問題について同会長が楽座会で話した内容を要約したものである。
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6世紀初めに即位した継体天皇は、世界でも他に例を見ない「万世一系」の皇統において非常に重要な意味を持っています。現在、世間を騒がせている皇室の世継ぎ問題にも通じるところがあるのです。
継体天皇の先代、つまり25代の武烈天皇には、子供がいませんでした。実は、武烈天皇は先の天皇の唯一の男子であり、さらにさかのぼっても男子に恵まれていません。まさに、いまの皇室をめぐる状況と似かよっていたわけです。
そして、武烈天皇が没して後継者がいなくなった後、即位したのが継体天皇です。この継体天皇は、皇統主流から離れていた存在で、15代応神天皇の5世の孫、つまり、皇位から5代も遠ざかっていた人物だったのです。当時、政権の中枢は大和地方にありましたが、継体天皇は即位前、北陸の越前を拠点にしていました。
継体天皇の父は彦主人王(ひこうしのおおきみ)、母は振媛(ふりひめ)。この母は11代垂仁天皇の7世の孫ですが、父は継体天皇が生まれると、まもなく亡くなっています。そこで母の故郷・越前に戻っていたわけです。即位前は男大迹王(おおどのおおきみ)と号していました。そして、継体天皇の系統を見る上で重要なのが、15代応神天皇の母、神功皇后です。この神功皇后は、まさに女傑というべき人で、日本から兵を率いて朝鮮半島を占領したとされています。戦前には紙幣に神功皇后の肖像が使われたくらいなのです。
このように現在の皇室に至る天皇家は、継体天皇を祖としています。実際、飛鳥時代の女帝、推古天皇は継体天皇の孫にあたり、聖徳太子はひ孫です。まさに、継体天皇の即位から、「大化の改新」をなした中大兄皇子までの間に、いわゆる日本の国家体制、「国体」が確立したと言えるわけです。
来年は、この継体天皇が即位して1500年に当たります(507年)。ところが、歴史上、このように重要な継体天皇が祭られているのは、ほんの数坪の小さな神社に過ぎません。私としては、この点についてぜひ宮内庁に再考を求めたいですね。
今回は継体天皇を中心にお話しましたが、古代史は現代をより深く本質的に理解する上で非常に重要で、みなさんもおおいに勉強していただきたいと思います。
楽座会レジュメ(8/23) 小泉+小池?
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